The 1975 / The 1975【Pitchfork 翻訳】

The 1975 / The 1975 (2013)

https://pitchfork.com/reviews/albums/18467-the-1975-the-1975/

The 1975 は 2011 年にサードウェーブ・エモ・バンド、the Slowdown として登場し、その後すぐに姿を消した。数年後マンチェスターで再始動したこのグループのピカピカに磨き上げられたセルフタイトルのフルアルバムは、フェニックスや M83 のようなきらびやかなシンセ・ロックを目指している。


The 1975 の歴史は奇妙で長い。2011 年には、マンチェスターのバンド the Slowdown による完璧な Jimmy Eat World 風のモールエモなアンセム "Sex" が存在した。白黒のビデオでは、完璧なヘアスタイルの4人のテレビ映えのする人々が、慎重に置かれた Johnny Cash のポスターのそばで演奏していた。明らかにアメリカのいくつかの雑誌の表紙を飾る運命をあと 1、2 ヶ月で達成することができるような内容だった。

しかし、そのようなことは起こらなかった。それどころか、誰かさんは多くの間違いを犯してしまったようだ。「誰かさん」と言ったのは、このバンドの呼び名はかつて Drive Like I Do だったらしいし、あるいは the Big Sleep かもしれないし、実際はすでに the Slowdown とは呼ばれていなかったかもしれないからだ。とにかく、彼らはすぐに姿を消した。彼らの Soundcloud も、Bandcamp も、そしてあのビデオさえも、一発屋としての地位を確立する前に、無情にも消えてしまったのである。

それから数年後、私たちは彼らの完全な再始動に直面していることに気づく。こんにちは、僕たちは The 1975 です、これが新曲 "Sex" です。同じ人たちが今、そう言っている。私たちは肩をすくめて言うしかない。OK、君たちと。 長く不可解な構想期間から生まれた彼らは今、2 度目の第一印象を与えるバンドのように、過剰なまでに活発なご様子だ。バンド名、アルバム名、そして最初の曲はすべて "The 1975" だ。"Sex" は完全に再録音され、不器用なティーンネイジャーの欲望まみれのビデオ処理も施されている。

サウンドも一新された。サードウェーブ・エモから離れ、Wolfgang 期の Phoenix や M83 の Hurry Up, We're Dreaming! のようなきらびやかなモジュラー・シンセ・ロックを目指している。しかし皮肉にも、2010 年当時と比べると今の彼らの個性は薄れてしまっているようだ。Arctic MonkeysTwo Door Cinema Club を手がけた Mike Crossey がプロデュースしたこのアルバムは、誰もが一度は購入した覚えのある CD 時代のポップロックアルバムに回帰したものだ。再録されたシングルを中心に、あまり練られていない、何となく似たようなものが並んでいる。

シングル曲の中には、まだ使えるものがいくつかある。大きくがっしりしたドラムループで構成された "The City" には、"I Still Remember" の頃の Bloc Party のような寂しげなロマンチシズムがある。"Heart Out" は、「ヘイ!」という掛け声で強調され鳴り響くシンセサイザーで幕を開ける。M83 の "Midnight City" を忠実に再現したような曲だ。マシュー・ヒーリーのつま先立ちのボーカルは、かわいい男の子の震え声とアデノイドの金切り声の狭間で、アイスクリーム頭痛のスイートスポットにヒットする。彼が指し示しているように見えるある種の「クールさ」は、丁寧に放射性炭素年代測定され、いくつかの異なる言語から英語に翻訳されたもののように感じられる*1。歌詞にはあからさまないやらしさが多いが、音楽にはセックスもグリースも危険もない。彼らのずば抜けて一番の曲 "Sex" においてもだ。

この曲は、The 1975 の他の数曲と同様、他のバンドにはほとんどない秘密兵器、ミドルエイトを誇っている。このようなポップ志向のバンドでありながら、The 1975 のソングライティングは驚くほど硬直し、閉鎖的で、想像力に欠けるものになってしまっている。プロダクションはきらびやかで素晴らしく、バンドがもっと洗練された才能を持っていれば達成できたかもしれないことを示唆している。"M.O.N.E.Y." 冒頭のスキッピングシンセと手拍子や、 "Talk!" のがっしりしたドラムビートのそばでそわそわするギターは、優しくカフェインを含んだ活気を作り上げる。しかし、曲は冒頭の数秒間で確立されたタイトなラインに沿って疾走し、何マイルも先までブリッジが見えてこない。活気は早々と消失してしまう。アルバムを通じた効果は、将来有望な新人バンドが自己紹介を繰り返すようなものだ。次に何を言うべきかを考えることに若干の価値があるものなのだが。

*1:[...] the version of "cool" he seems to be gesturing towards feels endearingly carbon-dated and translated from a few different languages into English. 難しい。要するに古臭いということが言いたいのか。